身に積もる埃
部屋が散らかったままGWが空けた。めでたい10連休を終えたわたしの部屋は、リフレッシュなんてものからは程遠く、かといって遊び疲れたというものでもなく、ただくたびれた散らかった部屋だ。
枕元のTV台ひとつとってもひどい。
おそらく半年ほど前から映らないテレビ(本当に映らないのか確認していない)。
頻繁に使うため定位置が定まらないティッシュ箱。
2ヶ月前の大掃除で使用してから、こちらも所在が定まらない紙ガムテープ。
毎日靴擦れと闘うわたしの悲痛な友である絆創膏は、どうしても手の届きやすい場所にほしい。
積み重なった本は感想をつけないと本棚にさせない(マイルール)のに、読んでから日が経ち過ぎて、何を書くのか迷う。
就職祝いにといただいたお金が入っていた包みは捨てるに捨てられず、しまうわけにもいかず。お年玉や祝い金の包みはいつも処置に困るのだけれど、これはどうするのが正しいのか。
3日前から2ヶ月ぶりに書いている日記はベッドから手の届く範囲に。
だらしない理由で積み重なった彼らは、わたしのどうしようもない怠惰さの象徴だ。
掃除しない部屋にうっすらと埃が積もるように、わたしの身には埃のレイヤーがかかっている。
わたしはわたしのそんな怠惰さを決して受け容れられない。かといって然るべきものを然るべきところに配置する気力もない。
外からどう見えようと、わたし自身にとってわたしは埃でくすんだ冴えない人生を送る人間だし、そんな自分をわたしは恥じて、まるで赤点のテストを机の引き出しの奥に急いで丸めてくしゃくしゃに詰め込むみたいに、必死に隠している。
努力もしないで自分を恥じて隠すことは、それ自体がとても恥ずかしい。わたしは自分はなんにも隠してなんていないと、素知らぬ顔で開けっぴろげに笑う。
でも、やっぱり1人になると散らかった部屋で掃除が進まず途方にくれるときのように、ただ埃が積もってくすんだ自分を眺めている。